中西太氏が死去した。90歳。
同氏は老生の憧れの野球選手の1人。
1951年高松一高から甲子園へ。
当時の西鉄ライオンズ(現西武ライオンズ)の監督だった三原修氏が(後義父)勧誘。
ライオンズは当初「西鉄クリッパーズ」
三原氏は巨人の監督だったが水原茂氏がシベリアから復員し三原氏は体良く追い出され止む無く西鉄へ。
そこから三原氏は打倒巨人に燃えていった。
その一翼を中西氏も。
当時のプロ野球選手は世間からチヤホヤされてはいなかった。
だが皆ひたすらプレーしていた。
中西氏も怪童から一流の選手に成長。
三原氏の野球への情熱を娘婿である中西氏も受け継いで行った。
栗山W B C監督も中西氏が保管していた三原メモが一流選手を扱うのに大いに役立ったと。
ご冥福を。